「旧東海道と御成街道」

旧東海道の岡部宿を通り葉梨川に架かる八幡橋の突き当たりを右

(西南方向)向かって進むと藤枝宿に至り、左(東南方向)に向かって

進む道が御成(おなり)街道であって、1.7kmほどで田中城の平島木戸

に通じる。家康は、駿府城に隠居していたとき鷹狩によく出かけ、

その折この街道を通って田中城を訪れたといわれている。

御成街道は、田中城への登城口として、戦国時代には武田信玄、

織田信長、家康などの武将が通った歴史ある古道だ。

「馬上の清水」

家康がこの地で鷹狩をしたとき、喉が渇いたので家来に汲ませて、

馬に乗ったまま水を飲んだので、この名がついたといわれている。

「芝原延命六地蔵尊」

天王町・市部第二町内にあるこの地蔵尊は、1707年(宝永4年)

10月の宝永大地震、11月の富士山大噴火の翌年、市部村民が、

天災から免れるように、また恐怖からの救済を願って造られたと言う。

今年(平成20年)は地蔵尊開眼300年にあたり、地元では、

8月24日に300年祭を開き祭事が行われた。記念誌もつくられている。

江戸時代、この地区は、旧東海道に面した家は、白子宿、下伝馬宿

の所属となり、そのほかは市部村に所属したようだ。(記念誌参照)

(関連写真4枚掲載)

「百万遍」

お地蔵さんの前で、1、080顆ある大数珠を、「南無阿弥陀仏」

と唱えながら回す行事。

「百万遍」の目的はいろいろあるようだが、市部の場合は、

享保の大飢饉の年から始まったようなので、五穀豊穣の願い

が目的であったといわれている。

「百万遍」

老若男女が大勢集まり、願いをこめて回す。

「お地蔵さん」

300年の長きにわたり、衆生の願いを聞き、導いてきた

尊いお地蔵さん六像のうち、金剛幢地蔵(こんごうとうじぞう)

を撮影できたので、失礼と思うが掲載した。

修羅の世界から救ってくれるお地蔵さんだ。

(台座を含めた高さ69㎝、石造)

(詳細は記念誌参照)

藤枝宿TOPページ へ
藤枝宿探訪の写真を順次掲載します