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「藤枝刃物」
刀鍛冶師、藤原金道のもとで修行を積んだ 鈴木市右衛門が慶長年間、藤枝宿開設のとき千歳にて、 「源重信」の銘の刀鍛冶をはじめたそうだ。 今も13代目の子孫が「源重信刃物店」を経営して いる。 |
源重信刃物店の作業場。
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「常夜灯」
江戸時代中期に各町内に設置され、明治の中頃まで 毎晩当番が灯明をともし、照明や道しるべ として利用されていた。大きさ、形、木造、石造など さまざまなものがある。 |
「勝草橋」
瀬戸川に架けられている現在の橋の写真。 江戸幕府は大きな川に橋を架けることを禁じていたので、 瀬戸川も川越しが行われた。「越すに越されぬ大井川」 に比べ川幅も狭く、水深も浅いので徒歩で渡ることが多く、 瀬戸川の徒渡り(かちわたり)といわれ知られていた。 橋の手前右方が田沼街道の起点で、老中田沼意次の所領相良 (さがら)まで28Km。(前ページのマップ参照) |
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「金比羅山の桜」
勝草橋から見た金比羅山と瀬戸川右岸の堤の桜。 左岸の堤の桜は1Kmにもわたり見事だ。 |
「洞雲寺」
慶長5年9月、家康が関ヶ原へ 進軍の途中洞雲寺(とううんじ)で休憩したが、 そのとき美濃柿を献上したところ、 美濃国はもう手に入ったと大変喜び、寺領が 加増されたそうだ。 |
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「志太郡が(郡役所)跡」
昭和52年に発見されたこの遺跡は、 約1200年前の奈良、平安時代の 駿河国志太郡の郡が(郡役所)跡で、 国指定史跡となっている。 当時の建物、板塀、井戸、敷石道路、食器類 などが発掘され、古代の地方政治や交通の しくみなどを知る貴重な遺跡だ。 |