藤枝は、東海道の宿場町として、

また田中藩の城下町として大変賑わ

ったそうだ。瀬戸川の

勝草橋から、田沼街道を通って、

老中田沼意次の所領相良に通じる交

通の要衝でもあった。

また、家康とのかかわりの史実など

沢山ある。

御成街道とか、勝退藪、馬上の清水、

洞雲寺等々。

きわめ付は白子町の名前の由来

だろうか。

(次の写真はすべてをお見せしていないが、

徐々に撮影し追加していく予定。)

(マップ、史実は藤枝市発行の「東海道五十三次・藤枝宿」を参考にしました。)
「東海道の松並木」

旧東海道は岡部宿を過ぎてから、国道1号線

と数回交差を繰り返しながら、次の

島田宿へと向かう。

藤枝宿内で、各所に往時の松並木が見られる。

「田中城本丸跡」

今から510年ほど前、豪族一色信茂が今川氏の

命を受け築城した。

この地は東西の交通の要衝で、江戸時代は

駿府城の西の守りとして重要だった。

城址には市立西益津小、中学校が建てられている。

「田中城下屋敷」

下屋敷跡に、田中城ゆかりの建物や庭園が移築、

復元されている。

「藤枝・白子町の由来」

天正10年本能寺の変の折、堺にいた家康は

身の危険を避けるため、急遽岡崎へ帰還したが、

その途中、伊勢白子の住人小川孫三が

海路で三河ノ国大浜まで無事お送りした。

その功績で藤枝に住むことを許され、地名を

白子と名付け、地子諸役御免の朱印状

を賜わった。

「東海道藤枝宿いきいき祭り」

白子の「天狗祭り」(左)と上伝馬の「まとい祭り」(下)

が一緒になって11月3日に行われる。

防火、商売繁盛、無病息災を願う

天狗行列やまとい行列、万燈で街道が昼夜に

わたり盛り上がる。

   
藤枝宿つづき1
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